今年に入ってからも経済状況に安心感は生まれず、政治の状況も国民の多くが安心して将来を望める状況とも言いがたく、中小製造事業者は“ものづくり”に将来を託すことに半ば諦めを感じています。
中国人観光客の話題は事欠かず、連日のように外国人観光客が日本での観光と消費を楽しみ、中国が世界第2位の経済大国となることが報じられ、事実はもっと期待が持てるかもしれませんが、多くの日本の事業者は中国頼みとなってしまいました。政府の観光立国日本、美しき国日本、という言葉を聴いたときに私は内心不愉快で、憤りに近いものを覚えたものです。
かなり以前のことですが、私が専門学校で講師をしている頃、授業中に生徒の勉学に対する態度の不真面目さを見て、「君たちが数年経ったときには、日本は観光立国になってしまうぞ!」「扶養家族というが、君たちは要らない家族、不要家族と書く!」と言ったことがあります。私にとって今の日本の現状は寂しく情けないものです。
「それで君は何をしているんだ」と言われても返す言葉がありません。現在、ある労働組合のリーダーであった人と長く懇意にさせていただいていますが、この人であればそう言うに違いないと思います。
この人は後期高齢者(ご本人はこの言葉を大変嫌っています)と言われる年齢ではありますが、年金問題で20年間役所と闘っていて(本人の言)、近所の人と清掃作業を欠かさない等など、自分で出来ることをやり続け、主張するところを言い続け、公の場で発言の機会が与えられればそこで自身の思想を聴衆に語ります。私が尊敬する人であります。
さて、この文章が載る日は2010年4月12日と聞いていますが、この日はちょうど私の誕生日です。1950年4月12日にこの世に生を受けてから60年の歳月が流れました。30歳台の時には「我々が今考えていることが将来の日本を決める。我々の考え方と行動次第だ。」と言っていたものです。今桜が咲いています。この桜を少なくてもあと10回くらい観る機会がほしいものです。
「できないことをしようと思わず、できることをやれ」、これも私が尊敬した齋藤洋弁護士が相談者によく言っていた言葉です。この弁護士は56歳で急逝されましたが大変立派で優秀な先生でした。今でも毎月1回10人程度で、私が名づけたこの先生を偲ぶ会「洋々会」を開いています。
目標に向かってそれぞれが自分にできることをやり続ければ、当監査法人A&Aパートナーズの理念と行動が花開いて、多くの人から一目おかれ、A&A出身ですと胸を張れる時がいずれ来るものと信じます。
歳のせいか話が少しくどく大仰になってしまいましたが、今日のお昼に何を食べたかはちゃんと覚えていますのでまだまだご心配には及びません。今日のお昼は10秒飯を2本でした。それではまた。日本がんばれ!!
野田勇司
岐阜県出身、昭和25年4月12日生、
気儘に過ごす時間がなく、“仕事に遊べ”と慰めています。