去年の暮れにNHKの特別番組で司馬遼太郎の「坂の上の雲」が何回かに分けて放映されましたが、大変面白かった。「坂の上の雲」は何度も読み返しましたが歴史小説としては中々おもしろく、日本人の必読書だと思います。但しあくまで「小説」ですから、いくら史実に基づいているとはいえ史実とイコールではないし、司馬氏も文筆家であって戦史や軍事に関しては素人ですからそこは多少割り引いてみる必要があります。
この小説のクライマックスは言わずと知れた明治38年5月27日、午後1時50分にロシア第2太平洋艦隊(いわゆるバルチック艦隊)旗艦クニャージスオロフの30.5センチ砲の第一声で始まった日本海海戦(ロシアでは対馬沖海戦という)です。
この海戦は世界の海戦史上特筆すべきもので、ロシア海軍はここでほぼ全滅、満州の奉天会戦の敗戦もあって講和の場に引き出されたと言えます。良く「ロシアにはまだ陸軍は健在だった」とか「ボルシェビキ主導の暴動や内乱の為に戦争の継続が困難だった」とか歴史家は言いますが、陸軍のみで、それも満州でかなり損耗し、海軍はほぼ壊滅した帝政ロシアが当時の英国、フランス、ドイツ等の列強と対峙して行くことのリスクを考慮したというのも大きな要因だと思います。
坂の上の雲は小説としては面白いのですが幾つか大きな間違いもあります。
例えば日本海海戦の描写の中で、砲撃戦のさなか東郷の第一艦隊は一瞬ロシアの第一戦艦隊を見失い、「日本海で一人ダンスを踊る」指揮ミスをしたという記述がありますがこれは大間違い。当時の大砲、特に大口径砲は続けて27、8発発射すると砲身が真っ赤っかになって破裂・爆発する危険があったのです。そこで止む無く一旦は戦列を離脱して、村上中将の第2艦隊(強力な装甲巡洋艦隊6隻)に後を任せたのです。その証拠に東郷の第一艦隊の装甲巡洋艦日進は主砲一門が爆発し、この事故で指揮を執っていた高野五十六(後の山本五十六)が指を吹き飛ばされて重傷を負いました。
また、高橋是清が外債の引受けを頼むために英国や米国に行き、運良くというか偶然が重なって英国ではロスチャイルドが、米国でもジェイコブ・ヘンリー・シフ(ヤコブ・シフ―ロスチャイルドが米国に派遣していた番頭)が引受けたとなっていますが、とても偶然とか、運良くとかは思えません。最初から出来レースだったと思われます。
坂の上の雲の評価はさておき、この戦(いくさ)は、個人的には諸外国の特定の勢力が脚本を書いて、演出をし、日本が主役を演じた壮大なドラマだったと考えています(明治維新もそうだったと思っていますが)。但し、日本がこれほどまでに主役を見事に演じ切ったために19世紀以降の帝国主義の時代の終わりを早めたことも事実ではないでしょうか。 去年の暮れの放映はこの小説の前半部分で「日清戦争」が主題でした。意外と日清戦争について日本ではあまり語られていないのですが、日清戦争を研究すると当時の東アジアの状況が良く理解できます。日本にとっては秀吉の朝鮮出兵以来の外地での戦でしたが、このときの出征兵士の親元にあてた手紙を資料として読みました。当時はまだ検閲等も厳しくなく、日本の農村などから初めて朝鮮半島や支那大陸に行った若い兵士達が見聞したことを素直に驚きをもって記載しています。特に朝鮮国の農村の困窮ぶりやインフラのひどさの記述が多く、これに比べて清国内は比較的裕福な家が多くて当時の宗主国だった清国の属国朝鮮への搾取に対する憤りを記述した手紙が散見されます。
これらの記録は李氏朝鮮末期の朝鮮国の混乱・腐敗ぶりが客観的に検討できて資料的な価値が高いと思います(東学党の乱もこのような背景から発生したのでしょう)。
日清戦争ではこれはという大スペクタルは余りないので映画になりにくいのでしょうが、李鴻章の清国北洋艦隊(プラス南海艦隊3隻ほど)とわが連合艦隊が戦った「黄海海戦」は、世界の海戦史上初めての甲鉄軍艦同士の艦隊決戦であり、やはり特筆すべきものでしょう。
清国北洋水師(海軍)には当時世界最強と言われた7千トン級の戦艦である「定遠」と「鎮遠」があり、対する日本海軍は急遽フランス人技師ベルタンに設計を依頼した5千トンクラスの「松島」「橋立」「厳島」の戦艦(日本三景艦と言われた)と、「吉野」「浪速」「秋津州」「高千穂」等の高速巡洋艦がありました。
黄海海戦では北洋艦隊は定遠を旗艦とした12隻が単横陣で、日本艦隊は4隻の高速巡洋艦からなる第一遊撃隊と松島を旗艦とする5隻の本隊が縦一列になる単縦陣で戦いました。単縦陣は世界の海戦史上初めて実戦で使われ、結果これが成功して北洋艦隊は12隻中3隻撃沈、2隻が座礁・沈没、日本海軍は沈没ゼロという圧勝でした。
ただしこの海戦には坂の上の雲の主人公である秋山真之は参戦していなかったので小説もTVでもあまり取り上げられていなくて残念です。黄海海戦にはまだ後日談があって、破れた北洋艦隊は母港である威海衛にほうほうの体で逃げ帰ったのですが、日本海軍は駆逐艦隊と水雷艇隊がこれに夜襲をかけ、やっと浮いている状態の定遠はじめ多くの艦を撃沈して、ここに清国水師は消滅しました。定遠の姉妹艦の鎮遠は戦後日本が賠償金と同時に取得して、日本海海戦では第三艦隊第五戦隊に所属して参戦しています。
黄海海戦では松島等の戦艦の大口径砲は三艦合計で10発しか発射されておらずおまけに全て外れ。当時の技術力では32センチ砲弾を1発弾込めするのに40分以上かかったと言われています。結局第一遊撃隊を中心に、高速で敵艦の周りを移動しながら至近距離から中口径の速射砲を連射して、敵艦の上部構造物や大砲を破壊しながら敵兵を殺傷して戦闘能力を奪うという戦法が勝利に結びついたものです。強烈なストレートパンチ一発ではなくてジャブやフックを多用してスピードで圧倒したということです。
北洋艦隊の敗北については、皇帝の私的な庭園である有名な頤和園の改修工事の為に海軍の予算を流用した西太后の責任だとする歴史家もいます。しかしながら、当時清国の軍事力のほとんどは李鴻章が掌握しており、彼がそれ以上力を持つのを警戒して予算を渡さなかったというのが真相のようです。
長くなりましたので真之の兄貴の秋山好古の騎兵隊の活躍も面白いのですが今回はここまでにします。
この番組は今年の暮れにも続編が放映されるとのことなので大変楽しみにしています。日清・日露の戦に関しては又機会があれば書きたいと思っています。では…
笹本 憲一
一言: 最近のオタクな日々を徒然なるままに書きました。
略歴 : 中央大学商学部、日本大学大学院修了後、日本大学講師を経て監査法人中央会計事務所入所。中央青山監査法人時代は事業開発本部で横浜株式公開部長、CSR部長担当。平成19年7月監査法人A&Aパートナーズ代表社員就任。
趣味 : 歴史研究(先史~昭和史)、軍事研究(現在防衛省系NPOの監事)
その他マルチオタク(鎧甲冑・戦史・犬・国際情勢・印刷機械……)
スポーツ:100を切れないゴルフと挙がらなくなったバーベル
天敵 : ネギ