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21年ぶりの歓喜

07.01

2012年11月24日、この日は、私の地元の広島県民にとって忘れられない日となった。この日Jリーグのサンフレッチェ広島が、4-1でセレッソ大阪を下し、リーグ優勝を決めたのである。優勝決定こそ最終節のひとつ前までもつれたものの、最終的には2位に勝ち点差7をつけた堂々たる優勝であった。広島の野球・サッカーのチームが優勝するのは、1991年の広島カープのセ・リーグ制覇以来、21年ぶりのことである(ちなみにサンフレッチェはJリーグが2ステージ制であった1994年に1stステージ優勝という実績があるが、これは正式には優勝とは数えられないらしい。。)。また、この優勝により、「オリジナル10
(Jリーグ発足時の10チーム)の中で唯一国内3大タイトル(Jリーグ、天皇杯、ナビスコ杯)を何一つ獲得していないチーム」という汚名も返上することができた。
Jリーグが発足して20年、サンフレッチェの歴史は、資金難と屈辱の歴史であった。相手チームと戦う以前に、毎年、資金難との戦いを強いられてきた。この初優勝にたどり着くまで、2度の二部リーグ降格も経験した。実は、選手の質が低いわけではない。日本代表にはかなりの数の選手を輩出しており、特にGKとFWは秀逸である。チーム発足よりGKは前川和也、下田崇、西川周作と常に代表選手で受け継がれ、FWはさらにすさまじく、高木琢也に始まり、久保竜彦、そして今は2012年四冠王(得点王、MVP、ベストイレブン、フェアプレー賞)の佐藤寿人と、日本のサッカー史上に名を残す名選手によって受け継がれてきている。
問題は、年俸の高騰した多くの選手が定着しないことである。それは、選手本人が高年俸を求めて出ていくこともあれば、チームが資金負担に耐えられず放出を余儀なくされることもある。また、選手層が極めて薄く、怪我などで主力が離脱すると一気にチーム力が落ちてしまう。
優勝した2012年も、このような資金難との戦いから幕を開けた。何しろ、選手以前に当時の監督であったペトロビッチとの契約延長すら、資金の問題で断念したくらいである。また、この年の開幕前にはGK下田崇やMF服部公太など、長年チームの屋台骨を支えたベテラン選手たちもチームを去っている。ペトロビッチの後任には、チームOBの森保一が就任したが、ベテラン選手の放出と未経験の監督の招聘により、一部の評論家にはこの年の降格候補に挙げられる有様であった。
しかし、その後この未経験の青年監督の招聘が吉と出ることになる。皆さんも、1993年の「ドーハの悲劇」はご記憶かと思う。日本代表がW杯初出場まであと何秒、というところで、イラクに同点ゴールを許し敗退した、あの事件である。悲劇として語り継がれると同時に、急激に強くなっていることを世の中に印象付けたあの時代の日本代表で、守備的MFとして不動の地位を築いていたのが森保一である。彼は決して上手い選手ではなく、むしろ下手な方の選手であった。しかし、中盤の低い位置でただひたすら相手のパスコースをふさぎ、相手の攻撃を遅らせる、そういった地味な作業を90分間、一瞬もサボらず正確に続けられる、粘り強く頭の良い選手であった。
この青年監督は、自身の謙虚な性格そのままの変化をチームにもたらした。前任者によって築きあげられたストロングポイントである攻撃には手をつけず、自らが得意としていた守備についてだけ、変化を加えた。前任者のサッカーは、攻撃的で確かに見ていて面白いものであったが、守備に全く頓着しなかったため、いわば4点取っても5点取られて負ける、そんなサッカーであった。森保監督による守備の改革により、前年リーグ11位の49であった失点数は、この年リーグ2位タイの34と、劇的に改善した。
また、地方のチーム・資金難のチームにとっては当然であるが、サンフレッチェは外部からの補強には限界があり、自前での選手の育成に力を入れるチームである。2012年はそれが大きく花開いた年でもあった。チームの象徴でもある双子のMF森崎兄弟(ユース出身)は円熟期を迎え、長く怪我に泣かされてきたMF高萩洋次郎(ユース出身)やMF青山敏弘(岡山・作陽高出身)もこの年フルに活躍することができた。特に高萩選手の活躍は目を見張るものがあった。天才肌のプレーヤーとして早くから期待され、相手どころか味方まで欺くパスセンスで、一部で「天才」を通り越して「変態」(笑)という有り難くない称号まで頂戴している選手である。前年までは天才にありがちなムラっ気を見せることがあり、ボールロストも多かったが、2012年は一年を通して安定した活躍を見せていた。
私は、サンフレッチェの試合はほぼ全試合、録画を含めTV観戦している。開幕から5、6試合目で、「あれ、なんか今年は調子いいな。」と思っていたが、あれよあれよという間に勝ち点を重ね、ついに18試合目で首位に立った。その後、しばらくはベガルタ仙台との間で抜きつ抜かれつを繰り返していたが、25試合目となる9月25日の直接対決を2-1で制して以降、一度も首位を奪い返されることなく、優勝にたどりついた。ちなみに、広島で行われた9月25日の直接対決、私は何と見に行っている。たまたま1泊で帰省していただけだったのだが、まさか広島で地上波のTV中継をしていないなど露知らず、いてもたってもいられなくなって「アンタ、一日しかおらんのにサッカー見て半日空けるって、何しに帰ってきたん」とすがる親の手を振りほどき、スタジアムに駆け付けた(母ちゃんごめん)。その日のスタジアムは資金難の一因ともなっていた客入りの悪さなどどこ吹く風で、富良野のラベンダー畑かと見紛うような紫一色(注:サンフレッチェのチームカラーは紫)だった。あの光景は忘れられない。また見たいなあ。。
さて、Jリーグの上位チームには、アジアNo1を決める「アジア・チャンピオンズリーグ」への参加権が与えられる。2013年、前年のJリーグ王者として参加したサンフレッチェは、大きな補強をするわけでもなく若手主体でこの大会に挑み、1勝も挙げることなくグループリーグで敗退した。この件につき、ネット上では「Jリーグの恥」などと辛らつな評価を受けているが、私はこれでいいと思っている。土台、毎年出られるかどうか分からない二つのコンペティションを掛け持ちするだけの戦力を持つ余裕など、このチームにはないのだ。元々昨年の最初には降格候補に挙げられていたチームである。むしろ優勝したとき、調子に乗ってそんなことをすれば、それこそこのチームにとって「終わりの始まり」になるのではないかと私は危惧していた。そこは謙虚な森保監督、しっかりとこの大会を若手の育成に充て、過密日程を乗り切ってくれた。おかげで、今年も13試合を終えた時点で5位と好位置につけている。これから何年も、まだまだこのチームは楽しませてくれそうである。
そして願わくば、生きているうちに(ってまだ私30代ですが)、もう一度サンフレッチェが優勝するところを見てみたいものである。
あ、あの赤い野球チームもね!

宮之原 大輔 (パートナー)
<モットー>
大統領のように働き、王様のように遊ぶ。 (知人の受け売りですが)
<趣味>
フットサル
<メッセージ>
監査という仕事は車のブレーキと同じです。
ブレーキのついていない車は必ず事故を起こします。
一方で意味のないブレーキをむやみに踏んでいると、会社業務は渋滞を起こします。
踏むべきブレーキは必ず踏んだ上で、乗り心地のよいブレーキを目指したいと思います。

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