学校のテストで「100点」を取る。自分の記憶を顧みるに、小学生のころはそこそこ取れていたような気がするが、中学校に入って以降は、ほとんど記憶がない。たぶん多くの人がそうだと思う。論点は多くなるし、何より論述式になると、採点者の趣向も出てくるからどうしてもそうなってしまう。
一方、私達公認会計士が通過してきた会計士試験、これもほぼ同じである。100点が取れるのは、それこそ入門期のミニテストがせいぜいで、本番の試験で100点を取って合格した者など、いるはずがない(調べられるわけではないので推定ではあるが)。
ところが、いったん合格し、プロとして監査業務を始めるようになると、例えば監査上の判断しかり、クライアントの確認事項しかりで、常に100点答案が求められることになる。少なくとも周囲には当然100点答案を出してくるものだと考えられてしまう。プロとしてお金をもらっている以上それは当然であるが、100点を取れずに合格した我々が、常に100点答案を提出することを義務付けられる、・・・正直なところ、これは結構キツイ。テストなら90点を取れば褒められるが、監査で90点は、△10点分が叱られる。この点、サッカーのゴールキーパーや、審判に似ていると言えるかもしれない。
もちろん、いわゆるペーパーテストとは違う点もある。テストのように2時間以内に答えなければならないわけではないし(年度末の繁忙期には事実上そのようになることもあるが)、何より何でも持ち込みOKである。しかし、そもそもクライアントが確認して来られる事項というのは、多くの場合どこにも書いてないから確認されるわけであって、持ち込めるから回答できるとは限らない。そういった時は制度趣旨に立ち帰って判断を積み上げることになるが、ここでどうしても個人の判断に差異が生まれる。異なる2つの回答のどちらも正しいという場合もあるが、そうでない場合もきっとあると思う。そして聞かれる以上は、どの会計士に聞いても同じ回答が返ってくる、そうあるべきだとも思う。金融機関の開発した難解な金融商品などで、プレゼン資料に会計処理例は書いてあるものの、末尾に「実際の会計処理については、貴社の会計士にご確認ください。」という文言が書いてあることがある。これはある会計処理が会計士(監査法人)によって○になったり×になったりすることがあるということを裏付けるもので、この文言を見る度にクライアントにも、金融機関にも一業界人として申し訳なく、恥ずかしい気持ちになる。
これを書いているのは6月の下旬で、ちょうど自分の担当する監査業務がほぼ終了する頃になる。同時に、法人内の審査やら何やらで、今年一年自分の出した回答が本当に100点だったか、向き合わされる時期でもある。もちろん、担当した会社の決算は間違いなく100点であると言えるし、そのつもりでやって来てはいるが、自分の対応が何点だったかは自分では判断できない。
嫌われてナンボの商売であることは分かってはいるが、今年一年、誰にも迷惑をかけずに乗り切れていることを願ってやまない。
宮之原 大輔 (パートナー)
<モットー>
大統領のように働き、王様のように遊ぶ。 (知人の受け売りですが)
<趣味>
フットサル
<メッセージ>
監査という仕事は車のブレーキと同じです。
ブレーキのついていない車は必ず事故を起こします。
一方で意味のないブレーキをむやみに踏んでいると、会社業務は渋滞を起こします。
踏むべきブレーキは必ず踏んだ上で、乗り心地のよいブレーキを目指したいと思います。