A&A blog

紀伊山地のおいしい水

03.10

吉野を発ってから3日目。
目の前には、「これより大峰南奥駆道」の文字。
 
大峰奥駆道―。
修験道の修行場として開かれた道で、吉野から熊野まで、約170キロ。およそ、標高1,000メートルから1,900メートルの間での上り下りが続きますが、森林限界を超えないため風があまり通らず、加えて、生命線たる水が尽き―。
鳳凰三山から光岳まで、南アルプスを縦走したときよりも余程、消耗していました。
 
世界遺産でもある熊野古道一帯の山中には、避難小屋が点在しますが、シーズン中に人が常駐し食事をふるまってくれる、所謂、営業山小屋はほぼありません。私は、吉野から熊野へ南下し、熊野の温泉で2泊した後、高野山へ北上する、全行程10日の予定を組み、山中での宿泊に備えてテントと寝袋、熊野までの食料と、2.5リットルの水を持って入山しました。
ふだんは夏場でも、さして喉を潤すこともなく山を登る私にとり、2.5リットルの水は、調理に要する分を差し引いても、1日分としては十分な量に思えました。実際に、初日は事なきまま夕刻にはテント場へ到着し、翌朝、テント場近くの水場で補給できましたが、想定どおりはそこまででした。
先月末までの長かった梅雨で失った日照時間を取り返すように、一転、今月に入って酷暑が続き、2日目道中の水場は、軒並み枯れていました。途中、山域最高峰である八経ヶ岳の手前にあった、唯一の営業山小屋で、1リットル分の水分を調達しましたが、このとき、もっと買い込むべきだったのでしょう。手に入れた水は、1時間後にはもう、飲み干していました。
ペースも遅れてその晩は、予定よりひとつ手前の避難小屋に泊まりましたが、小屋の少し手前の広々とした草原で、百頭は優に超えただろう鹿の群れに遭いました。予め示し合わせていたかのように、同じ方向へ一斉に走り去りゆく鹿たちが、夕陽にやかれながら奏でた地響きが、疲れきった私にとっては何とも荘厳で、脳内清涼剤としては十分でしたが、物理的な渇きを癒すには至りませんでした。
翌日もペースは上がらず、どうにか釈迦ヶ岳を超え、下ってしばらくしたところに、「これより大峰南奥駆道」と標されていました。
 
あと半分―。まだ半分―。
To go, or not to go, that is the question.
 
私は、山を下りることにしました。ちょうどそこは分岐点で、東に向かって下りの道がのびています。
 
私は下りながら途中、登山道を見失いました。剰え、それを自覚しながら、来た道を戻るという定石を捨てて、下り続けました。不完全燃焼感に苛まれていたことが、何より判断力を損なわせていました。
正気に返ったのは、2つの沢が重なって川となり、泳ぐ以外にはどうにも先へ進む術がなくなったときでした。もう2時間以上、下った後でした。
To mourn a mischief that is past and gone is the next way to draw new mischief on.
 
ああ、私はいま、遭難している。
目の前には川。
川って、水だな。
 
誇張なく、一気に3リットルは飲んだと思います。乾いたスポンジと同じですから。
 
これで、脱水死は免れそうです。でも、今日中に登山道に戻れるのか。
戻れないなら、いつ戻れるのか。
戻る前に、食料が尽きるのではないか。
尽きたら、死因が脱水から餓死に変わるだけではないか。
夜、獣に襲われる危険もあるのではないか。
その場合も、死因が変わるだけではないのか。
 
さて、マシなのはどれか。
 
結局、私は、遭難した日から数えて5日目、吉野を発ってから7日目に、ようやく山を出ました。
山を下りているときには一本道のように見えても、実際には谷と谷がぶつかり合い、深く入りくんでいたため、帰路を探しあてるまでに無数の分岐に遭い、丁半勝負に敗れ続けたのです。
Men must endure. Their going hence, even as their coming hither.
 
案の定、夜はテントの外から蹄の音やら唸り声やら聞こえてきましたし、食料も尽きる手前だったにも関わらず、水源を得て以降は冷静を保っていて、上記のような心配を他所に、水浴びには格好の池を見つけたので、登山道探しに疲れた合間にはオタマジャクシと一緒に泳いでいました。
What’s done is done.
 
「これより大峰南奥駆道」の標識から下らず、あのまま進んでいたら、案外すんなりと熊野に着いた可能性もあります。場所によっては水場も枯れていなかったかもしれませんから。
でも、ガチンコ遭難経験をしたおかげで、私も、人生の折り返し地点を迎えたところでようやく、座右の銘を手に入れました。
 
「結局役に立つのは、金や名誉ではなく、水。」

名前:割石真仁
経験分野(業務):会計監査(金商法、会社法、社会福祉法人)、上場準備、地方公会計導入支援、IFRS移行支援、Javaプログラミング 他

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