A&A blog

ありがとう、広島市民球場

01.19

 あまり信じてもらえないのだが、私は故郷の広島という街があまり好きではない。地方特有の、妙な連帯感というか、あの濃ゆい人間関係にちょっと引いてしまうのだ。

 しかしそんな私にも、深くDNAに刷り込まれてこれだけは譲れないものがある。

 それは、「広島カープ」と、「お好み焼き」。

 とりあえず、お好み焼きについては今回は触れずに置く。これも話すと長いから・・。まあ一言だけ言っておくと、皆さん、「広島風お好み焼き」という言葉はありません。「お好み焼き」と言ったら、そばの入ったアレです。当然です。まして私に対して、「広島焼き」などと間違っても言わないように。確かにあまり好きではないと書きましたが、私の地元まで焼かないでください。

 さて、本題の広島カープだが。まずですね、皆さん、「ミスター」って言ったら山本浩二ですからね。多くの人が勘違いしてらっしゃいますが。長嶋茂雄?それは東京ローカルです。だってホームランの数全然違うじゃないですか。通算536本ですよ、山本浩二。それから、永久欠番で背番号3って言ったら衣笠祥雄ですから。他球団の方もつけないでくださいね。だって国民栄誉賞ですよ?

 ・・だいぶ横道にそれてしまったが、そんなアツい我々カープファンにとっての聖地、広島市民球場が、今年の3月31日をもって営業を終了する。老朽化で仕方ないとはいえ、寂しい限りである。

広島市民球場は、プロ野球のほかの球場と比べても、いろいろな面で特徴的である。

まず、プロ野球で使われる球場に「市民」の文字が入っているのは、広島市民球場だけである。だから、我々カープファンは、広島市民球場を「市民球場」と呼ぶ。「俺たちの球団、俺たちの球場だ」という、ちょっと誇らしい気持ちを込めて。財政難で球団存続の危機に陥ったときは、広島市民が募金をしてチームを存続させたという、カープはまさに俺たちの球団なのである。

また、交通の便が異常に良い。「東京ドームだって水道橋、神宮球場だって外苑前じゃん」と思った方、違います。市民球場は、東京で言えば銀座にあるのと同じなのだ。隣りはもう、デパートである。

それから、今では珍しくなった、ドームではない開放型、しかも天然芝である。この両方を満たすのは、いまやセ・リーグでは市民球場のほかは甲子園球場だけである。野球をエアコンの効いたドームで見るなんて興ざめだとは思わないだろうか?それはベースボールであって野球ではない。夜空の下、酒の匂いの染み付いた外野席で、ビール飲みながら野球を見る、ヤジ飛ばす。それが正しいナイター観戦である。雨が降ったらどうすんの?中止ですそんなもん。だから、野球を見に行く前の晩は、本気で照る照る坊主つくって外に吊るすんです。そこからが野球です。そして家に着くまでが遠足です。もっとも、この条件は新しく作られる球場でも満たされるらしいので、この点についてはほっとしている。

私と広島市民球場の出会いは、確か小学校一年生の夏休み、大洋ホエールズ(現:横浜ベイスターズ)戦だったと記憶している。昭和54年、カープが二度目のリーグ優勝、初めての日本シリーズ制覇を成し遂げた、赤ヘル黄金期である。両親に連れられて見に行ったのだが、カープは序盤で5-0と大差をつけられてしまう。その後じりじり追いつき、8回裏だったか9回裏だったか、ランナーを二人置いて、バッターボックスにはピッチャーの江夏。何でその展開で江夏が打席に立っていたのかは分からない。とにかく、フルスイングした江夏のバットから放たれた打球は、あり得ない弾丸ライナーで右中間スタンド上段に叩き込まれた。カブレラが腰抜かしそうなあの弾道は、いまだに鮮明に思い出せる。結果、8-5でカープの勝利。両親によると、その後の私は江夏が大好きになり、江夏の出ている試合はテレビをかぶりつきで見ていたようである。

大学に入り、東京に出てきたこともあって、市民球場に行く機会はぐっと減っていた。特に山本浩二が引退し、またFA制度が導入されてからは、カープは弱体化の一途。赤ヘル黄金期に幼少時代を過ごした私としては、カープが弱いこと自体がいまだに信じられない。カープの選手を応援しても、「どうせこの人、最後は出て行っちゃうんだろうな」と思うといまいちその気になれず、近年は野球そのものを見なくなっていた。

しかし、市民球場の最終年度となると話が違う。やはり最後に聖地巡礼はしておかねば。ということで、去年の夏休み、実家に帰った際に行ってきた。阪神タイガース戦。できれば外野自由席でナイターの醍醐味を味わいたかったところだが、私ももう35歳である。カープ応援団特有の「スクワット応援」なんぞ9イニングやった日にゃ、間違いなく肉離れである。ということで、一塁バックネット裏にした。

子供の頃に広い球場だと信じて疑わなかった市民球場は、びっくりするほど小さかった。階段ではタバコの煙が立ち昇り、中もお世辞にもきれいとはいえない。しかし私にとってはこれが野球である。これでいいのである。否応なく期待感が高まる。

プレイボール。あれ、このカープのピッチャー、誰?ルイスでも大竹でも、建さんでもない。もしかしてローテの谷間?案の定、2回表終了時点で阪神7-0広島。おいおい・・。

とにかくストライクが入らない。押し出し、押し出し、また押し出し、・・って相撲ですか。ピッチャーに周りの席からヤジが飛ぶ。「ワレ社会人戻れぇや!!」。東京に出てきて15年以上、すっかり標準語を話すようになった私は「いや~、広島弁って恐いな~(汗)」、とビビリまくっていた。しかし、これが野球である。ヤジも含めて、思い出である。

 ただいかんせん・・こんな負け試合で、隣に阪神ファン・・。押し出しするたび手たたきよる。これには参った。一塁側はホームチームの応援席でしょう。なんでいるの?阪神さん、金の力で、金本買うわ、新井も買うわ、カープファンの居場所まで買いますか?6回裏、ついに耐え切れず、出てきてしまった。

 翌日の新聞では、結局カープは11-4で負けたようである。与四死球はなんと22!!そら勝てんわ。これが私の、市民球場への最後の巡礼となった。しかし昭和32年に開業した市民球場の最初の試合も、エース長谷川良平が打ち込まれて15-1の大敗だったらしい。まあ、草創期から苦難の連続のカープ球団、こういう最後の巡礼も、らしくていいかな。

 財政難によるたび重なる存続の危機を乗り越えて、カープは昭和50年代の黄金期を築いた。カープが悩まされるのは今も変わらず資金面である。しかし一方で、カープは球団経営単体で黒字を維持している数少ない球団でもある。この不況の折、堅実経営で本当にやっていける球団はどこなのか、球界全体がこれから試されるのではないかと思う。旧市民球場が役目を終え、新球場元年の今年、そろそろカープはやってくれるかもしれない。

 50年間お疲れ様、ありがとう、広島市民球場。

 そして、広島カープ、そろそろ頼むぜ。今年は野球見るからさ。

 
 

(最後に一言)

2008年度AAP麻雀年間リーグ戦、優勝させていただきました。

今年は連覇を狙います!!

宮之原 大輔 (パートナー)
<モットー>
大統領のように働き、王様のように遊ぶ。 (知人の受け売りですが)
<趣味>
フットサル
<メッセージ>
監査という仕事は車のブレーキと同じです。
ブレーキのついていない車は必ず事故を起こします。
一方で意味のないブレーキをむやみに踏んでいると、会社業務は渋滞を起こします。
踏むべきブレーキは必ず踏んだ上で、乗り心地のよいブレーキを目指したいと思います。

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