2015.05.25

片づけ下手

私にとって、最も苦手なものが部屋の片づけです。子供のころから全くの苦手でした。自分の部屋の床が見えないことが当たり前で、それに対して特に苦痛も感じませんでした。なぜ片づけが好きでないのでしょうか?洗濯ですと、仕上がった洗濯物のほのかな香り、手触りの良さ等が、ご褒美として与えられます。炊事の場合は、自分の好きなものが食べられるというご褒美があります。自分にとって、掃除からは何もご褒美がもらえないように思えます。掃除の後、掃除機に貯まったゴミを捨てるのも、嫌な作業の一つです。そもそも掃除、片づけを好きか嫌いかで判断するのではなく、義務として考えた方が良いのかもしれません。

義務であるなら、なぜすぐにやらないのでしょうか?多くの人は、義務は義務として、行動すると思います。自分の場合は、生来の怠け者であることが、それができない原因です。若いころ、ペルシャ文学の「ルバイヤート」という詩集の中に、“明日できることは今日するな”というような表現があり(あったと思いますが)、私をおおいに勇気づけてくれました。

仮に損得計算をしたとするならば、間違いなく「先送り」は大きなマイナスをもたらしていると思います。

そのマイナスの一つが、子供のころに起りました。あまりに散らかっている私の部屋を見た母が、見かねて片づけてくれたことがありました。片づけてもらったことに対して、感謝すべきところですが、正直に言いますと、片づけられると、何がどこにあるのか全く分からなくなってしまいます。他者から見て目を覆いたくなるような散逸状態でも、自分では何がどこにあるのか、ある程度掌握できているものです。私なりの管理方法として、お年玉で貰った10円札(私の子供のころには、10円、50円、百円紙幣がありました)を、大切に新聞紙で包んでいました。なんと、母は中も確認せず、ただの古新聞として、庭で燃やしてしまいました。私にとって、模型を買うための大切なお金でした。1週間程経って、大切な新聞が無くなっているのに気が付きました。
「母さん、新聞紙で包んであった10円札知らない?」
「エッ、お金が入っていたの?庭で燃やしたよ!」
この事件以来、お金はお茶の缶に入れることにしました。
今思えば、私が新聞の切り抜きをするようなことは絶対にないことを、母親は知っていたはずです。まだ悔しい気持ちが、心の片隅に残っているのです。

「片付けとは、捨てること」と最近テレビで見ました。片づけコンサルタントの教えです。日本の女性ですが、世界的にも著名な人物のようです。したがって、思いつきで言っているのではないようです。例えば、衣類の場合、同じ種類のものを集め、一つ一つ手に取り、「これ着たい!」と心ときめくものは残し、あとは惜しげもなく捨てることだそうです。
そのコメントを聞き、じっくり考えました。ついに積年の原因が究明できました。
ときめくかどうか以前に、今の体型ではとても着ることができないようなものでさえ「とても捨てられない!」。要するに単にケチ。ケチだから捨てられず、貯まる一方。片づける気にはなれない、だから片づけ下手。

そういう私でも、多少の意地、あるいは向上心があります。ゆめゆめゴミ屋敷の主人とは呼ばれたくはありません。子供のころと違って、見える床の面積はかなり拡大してきました。自分ではそれなりの進歩と思っています。まだまだ、ケチ根性との戦いは続くでしょう。

テレビショッピングでよく見る自走式の掃除機が、私の部屋を縦横無尽に動き回る時代の到来を、消えることのない夢として持ち続けます。

進藤 直滋

私の会計士人生は、いつの間にか40年を越えています。
最初の10年に比べ、後半の30年は、大きな変革の中を通ってきた感じです。
これからの変化は、間違いなくもっと大きくなるでしょう。

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