2015.02.23

つれづれなるままに・・・その4

私の祖父が曾祖父から聞いた話だと言って聞かせてくれた話です。
曾祖父は、老舗蕎麦屋に勤めていました。その蕎麦屋は代替わりをして若旦那が店を切り盛りしていましたが、その若旦那が食欲と体力を失い、重病になってしまいました。
若旦那の父親である親旦那は、医者から「医者や薬では治らない気の病で、思い悩んでいる事が解消すればたちどころに治るが、放っておくと5日もつかどうか」と言われ、蕎麦屋で働いていた熊五郎という男を呼びつけ、「座敷へ行って、若旦那に事情を聞き出して来い」と命じました。若旦那は消え入りそうな声で、熊五郎に事情を説明しました。
20日ほど前、若旦那が神社へ参詣し、茶店で休んでいると17,8歳のそれはそれは美しい女性が店に入って来ました。その女性を見た若旦那は、一目ぼれをしてしまいました。若旦那が照れながらちらちら眺めていると、女性は、その茶店を出るために立ち上がる際、膝にかけていたハンカチを落とし、気づかず歩き出してしまいました。若旦那が急いで拾い、追いかけて届けると、その女性は持っていた紙に「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」と、歌の上の句だけ書いて若旦那に手渡し、去って行ってしまいました。若旦那は、歌の下の句「われても末に あはむとぞ思ふ」を思い出して、「今日のところはお別れいたしますが、いずれのちにお目にかかれますように」という気持ちを読み取ったのですが、その女性がどこの誰なのかわからないので、会うことがかなわずに困っているということでした。
熊五郎はこの事情を、親旦那に報告しました。親旦那は「3日間の期限を与えるから、その女性を何としてでも捜し出せ。褒美に蔵付きの家を5軒ゆずり渡し、借金を帳消しにして、それと別に礼金を支払うから」と熊五郎に懇願しました。
熊五郎は、やみくもに街じゅうを捜して走り回るうちに、はじめの2日間を無駄にしてしまいました。熊五郎の妻はあきれて、「人の多く集まる銭湯や床屋で『瀬をはやみー』と叫んで反応を見ればいいじゃないか」と提案し、「探し出せなければ、実家へ帰らせてもらうからね」と言い放ちました。熊五郎は街じゅうの床屋に飛び込んでは「瀬をはやみー」と叫びましたが、客が一人もいなかったり、ある客の「うちの娘はその歌が好きでよく歌っている。綺麗だし、その神社にも足しげく通っているよ」という話を聞いても幼い子供であると判明したりして、結局有力な手がかりが得られないまま日暮れを迎えました
数十軒の床屋を巡っているうちに、剃れる髪もひげもなくなった熊五郎は、次に入った床屋の店主に「もういっそ植えてくれ」と悲鳴をあげたりもしていました。そんな中、ひとりの職人風の男が、「急ぎで頼む」と割り込んできました。男は「出入りしている店の娘が重い恋わずらいになり、今日明日とも知れない容体になってしまった。お茶のお稽古の帰りに神社の茶店へ立ち寄った際、一目ぼれしてしまった若旦那に気を取られてハンカチを忘れ、その若旦那に届けてもらったとき、あまりの名残り惜しさに、崇徳院の歌の上の句を書いて手渡して以来寝込んでしまった。自分は、娘の父親から「店じゅうの者でその若旦那を捜し出してくれ。はじめに見つけた者には大金を与える」と命じられたひとりで、これから探し回りに行くのだ」と店主や常連客たちに語って聞かせました。これを聞いた熊五郎は男につかみかかり、「やっと見つけた。お前の出入り先の娘に用があるのだ。うちの店へ来い」と叫びました。すぐに店へ戻って褒美がもらいたい男は「いや、先にこっちの店へ来い」と言い返し、つかみ合いになりました。2人があまりにもひどくつかみ合いを始めるものですから、そのはずみで床屋の鏡が床に落ちて割れてしまい、店主が「どうしてくれる」と怒りました。熊五郎は、「割れても末に 買わんとぞ思う」と泣いて謝ったというのです。
最近、私は趣味で落語を聞くようになりました。ただ、祖父と曾祖父、嘘をついているのがどちらかはまだ聞いていません。

<氏名>
吉村 仁士

<経歴>
早稲田大学商学部 卒業
中央青山監査法人 入所
平成19年7月 監査法人A&Aパートナーズ 入所
現在に至る

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