2008.03.10

インド紀行

もう10年程時が経つ(タイムゴーバック)でしょうか。会計士受験生活も失敗が重なり、煮詰まっていた頃、論文式試験受験後合格発表前の夏でした。

幼少期より、「インド人のようだ」と風貌を揶揄され、修学旅行の際ちょっと深夜に外出すると「昨晩、怪しいインド人が出現した。」と訳のわからない噂が立つような自分でしたので、インドへの愛着がすでにあったのかもしれません。周囲の心配をよそに、はじめての海外旅行・単身にてのインド行き(放浪?)を決意しました。名古屋空港を発ち、香港を経由して、エアーインディアにてニューデリーへ。

受験生活が長かったことから資金的余裕のない初心者バックパッカーは「地球の歩き方(=ガイドブック)」のみを頼りに、粗々の計画にてのインド旅を開始しました。

(最近のインドは相当開発され、すっかり様変わりしているかもしれませんが、あくまで当時の私の体験した日常的・庶民的?インドについて記憶の限りでご紹介したいと思います。) 

まずは、エアーインディアです。搭乗した瞬間にエスニックな、いわゆるカレー(香辛料)の匂いがします。サリーをまとったCAが旅の雰囲気をいかにも盛り上げてくれます。

次に、インディラガンディー空港入国直後での両替。当然のように、円/ルピーの公表?レートどおりの換金がなされません。巧みに100ルピー札一枚を誤魔化そうとした係員…。

インドでは州がたくさんあり、言語体系もヒンディー語のみではなく、宗教や文化も相当複雑です。私の英語は今も当時も不足感のあるブロークンですが、インドでは英語が比較的通じるため、何とかコミュニケーションが可能でした。ちなみに、インドでは一般に「」の発音に特徴(訛り)があり、「Beer」は「ビァー」、「What’s the matter?」は「ホワッツ ザ マター?」といった具合になります。このため、「Near hereby car?」は「ニア ヒアー?バイ カー?」と発音すると上手く通じました。

交渉などに慣れてきてリクシャー(=庶民的三輪タクシー)を活用できるようになると、誤魔化され始めました(正確には誤魔化されていたということに気付きました)。

「ナトラジ ホテルに行ってほしい」と乗ると、なぜか「ナトラジ シアター(映画館)」へ連れて行かれ、別の場所では頼んでいないのに(ほぼ何もしていないのに)ガイド料?口利き料?を巧みに取られ…、路線バスの定額らしい料金でさえ券売所では何故か2倍以上の高額を支払っていたらしいといった状況に…。

「よし、大丈夫。誤魔化されていないな」というレベルで、結構誤魔化されており、気付かないレベルでは相当無残な結果になっていそうでした(二重価格が原則化している社会でしょうか。)親しくなったインドの方々に「どうしたら儲かると思う?」と尋ねたら、すかさず「値段を上げればいい!」と答えてくれました。何か憎めないストレートな印象でした。

お金(ルピーRs)については、破れたお札は基本的に通用しません。汚れた古いお札も価値がないと考えられています(受取り拒否されます)。このため、外国人旅行客はほぼ破れかけのお札や古いお札を両替やお釣りで巧みに渡されます。さながら、ババ抜きのようです。

日中の暑さは尋常ではありません。夏季だったこともありますが連日40℃超。栓が空いていないことを確認して購入したペットボトルのミネラルウオーターが命の綱です。ただ、湿度は低めなので、不快指数は高くありません。夜は蚊(巨大)が半端な量ではありませんでした。無数に刺されました。

映画大国でして、ダンスシーンが必ず入る映画などが劇場で上映されていますが、途中に休憩が15分位あります。

電力事情により、どこにいても停電がしばしばです。ブーン、ブチッと言った直後、真っ暗になったり、扇風機が止まったりします。ホテルでも映画館でもです。

シヴァ神の乗り物である牛は「神様の一種」であるため、市街道中をあてもなく闊歩しており、その「落し物」も多く(うかつに土と思うと踏んでしまいます。。。)、牛を見かけるとハンドルから手を離して拝みはじめるバスの運転手もいました。 などなど…。

結局、50日間ほどインド・ネパールに滞在したため、いろいろなことや多くのエピソードがあり、あれもこれもご紹介したいとは思ったのですが紙幅の都合上、割愛致します。

主要滞在都市デリー・アーグラー(タージマハルへ)・ジャイプル・ジョードプル・ジョードプル・アーメダバード・ボンベイ(ムンバイ)・アジャンタ・エローラ・ハイダラバード・バンガロール・マイソール・コーチン・トリヴァンドラム・カニャークマリ・マドラス(チェナイ)・カルカッタ・ボッドガヤ・バナーラス・カトマンドゥ・ポカラ・カジュラーホーなど(都市名はヒンディー名と英語名、モスリム名など複数あり混乱しがちですが、上記は地図上表記されていると思われるところです。ご興味ございましたら、是非、ご訪問ください!) 

日本帰国後、体が軽くなった気がするな?マラリアなどにかかっていないかな?などと若干心配になったので近くの医院に掛ったところ、「栄養失調です!」との診断を受けました。ちなみに、帰国後発表された論文式試験結果は、見事にあっさり不合格。

インドの奥深さとともに、会計士試験の険しさも重ねて実感した年のお話でした。

(長文、お付き合いどうもありがとうございました。)

最後に…。インドでは「君はネパーリ(ネパール人顔)だ!」と言われ、ネパールでなんとか「君はジャパーニ(日本人)だ!」と言ってもらえました。

<名前>

井之下健

<モットー・信条>

「意志あるところに道あり」

「監査は「鏡」をチェックする仕事」だと考えています。

 

<プロフィール>

岐阜県立岐阜北高等学校、青山学院大学国際政治経済学部卒業。

中央青山監査法人入所後、20077月監査法人A&Aパートナーズに移籍。

日本公認会計士協会東京会広報委員会委員長(平成2371日より)

公開企業、公開準備企業、リファードワーク、独立行政法人・国立大学法人・学校法人・労働組合、ファンド、SPC+PFI関連や公益法人(財団)等諸々の会計及び内部統制監査業務等に従事。基本的にベンチャー志向(但し、歴史を訪ねるのは好き)。

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