A&A blog

手帖と乱筆と私

09.25

★手帳(帖)について。
皆さまは、スケジュール管理やメモ取りを、どのようにしていますか。
持ち運び可能サイズの紙面に書き込むいわゆる「手帳」(バインダーで取り外し更新可能な「システム手帳」のようのものもあるかもしれません)のほか、専用の電子手帳というのでしょうか、最近ではスマートフォン・モバイル等のアプリ、業務PCソフト等、多くの記録手段があると思います。
何が自分にとってベストなのかは、検証したことはありません。小輩は、なんとなくアナログ人間(世代?)に分類されてしまうのでは。と恐れますが、これまでずっと、ローテク・紙媒体のいわゆる書店で並べられている「手帳」に、スケジュールやメモなど書き留めています。
いわばphysicalな相棒としての「手帳」は、書き込んで意味になり、手に馴染ませて愛着がますます湧いてくるように思います。
学生時代から年度毎に役目を終えたはずの手帳類が、段ボール箱に溜まっていたりします。読み返して活用していないので、「断捨離」推進のため、古くなったら、すぐ捨てるべきかもしれませんが、捨てていません…。
流れ的(てき)に、この場で現在の相棒を画像によりご紹介しますと、小輩の今の愛用は、茶色基調のカバーを5年以上使いまわしており、カバーに挟みこむ「予定表」と「メモパッド」の冊子を「冊子ごと」更新するものです(写真映えしていないような。客観的に見ると、妙な写真ですね(笑))。
写真1
ところで、江戸時代以前には、紙そのものが貴重だったと思うのですが、スケジューラやメモ用としての「手帳」はあったのでしょうか。「手帳 歴史」とネット検索してみると、平安時代の「枕草子」がその先駆?とか。
更に詳細を調べていませんが、必要な方にとって、らしきものはあったかもしれません。しかし、仮に筆でしか記録できないとすると、筆のほか、硯や墨なども常に持参する必要があったように思います。風呂敷に硯箱を包んでというイメージでしょうか、和紙に巻物として?したため、予定など管理をしていたのか。と想像してみると、そこまで時間単位などスケジュール管理が重要だったかどうかもありますが、書いた後に、筆跡の墨を拭ったり、乾くまで(くるくると巻くのを)待ったりする必要があったのでしょうか。現在の記録の気軽さなどと比較すると、なんだか大変だったように思います(そもそもどの程度「時間」を管理できていたのか。腕時計などもなかったでしょうしね…)。
かつて、「外記」とか「右(祐)筆」という職位・職務もあったと聞き、記録は昔から重要な作業であり、一旦書いた以上、捨てなければ乱筆であろうと誰かが読むかもしれず、長期間残ってしまうわけでして…。しかし、書き留めることは、onやoffの区別なく、人間らしい行為ではと思うのです。
 
★乱筆について。
何かのきっかけで、過年度の「手帳」をパラパラと見返すことがあると、ひどい乱筆だ。引っ掻いたような文字で、よくわからない記号なども書いてあったりし、当時はこんな書きぶりで、よく何かを管理していたな…と思いました。自分すら解らない文字やメッセージ。はたして、何なのか…。
 
★私について。
乱筆でも一応問題がない「手帳」は自由気まま?に、乱筆では問題がある「調書」は要件を満たすようしっかりと書いていく。
情報電子化の波にうまく乗りながらも「手帳」をよりよく活用したいと思いつつ、今回のブログタイプを終えまする。
乱文、失礼しました。

井之下 健
青山学院大学国際政治経済学部卒業
言葉:Where there’s a will, there’s a way.
好きな食べ物:味噌カツ
好きな時:コンビニ赤ワインを片手にしながらの大河ドラマ「真田丸」鑑賞

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